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葛川よもやま話

葛川のあれこれを発信するページを設けました。

2020.06.01 昭和10年頃の花折峠・・・・当時の作文から

前回に続き、作品集の中からの一文を紹介します。
 
やっと花折峠に来た。
「ひと休みして行こう」と父は休息所で腰を降ろした。僕もすぐ横に腰を降ろし、汗ばんだ顔を拭いた。父は腰のタバコ入れを取り無言で煙を吹かせていたが、急に、休息所の柱に筆太に書いてある花折峠の字を指して「お前はこの峠のいわれを知っているか」と尋ねた。「いいえ、知りません。話をして下さい」とお願いすると早口に次のように話してくれました。
「今はこの付近は見た通り、杉山か檜山だけれども昔は一面草原で常に色々な花が咲き乱れていたらしい。その花を坊村にある明王院へ参籠に来る行者さん達が折り採って不動明王に手向けられたのでこの名があるんだよ」と言った。
言い終わって父は「ああ、随分涼しくなった。海抜600メートルというとこんなに違うものかな」と言いつつ荷物を肩にした。僕も父の後から風呂敷包みを手にしてボツボツ峠を下り京都に向かった。
 
※当時はまだバスも通っていなくて、峠の頂上に休む所があったらしいです。確かに峠の頂上からの眺めは素晴らしく、左に堅田、大津方面を眺め、右に目を転ずれば大原から八瀬に続き遠く京都の方まで見渡せました。作文の頃はトラックが通っていましたが、材木や炭を運搬するもので、村人たちはバスが来ている途中(地名)まで歩いたようです。
この峠には大正時代に牛車が通るようになり、トラックが通るようになったのは昭和になってから。戦争時の出征兵士の皆さんもトラックに乗って出陣されたそうです。七折れ八折れの峠道も昭和47年からトンネルの掘削工事が行われ、昭和50年に完成。村人の長年にわたる悲願のトンネルの開通となりました。工費として13億5千5百万円が投ぜられ、若狭街道と呼ばれた県道は花折峠の開通と共に「国道367号線」となりました。それ以後、度重なる国道改修工事が行われ、現在は峠を上下することなく、福井、若狭方面まで快適な道路となっています。・・・・それにしても「花折峠」良い名前ですねえ。
 

2020.05.26 昭和10年頃の葛川祭・・・当時の生徒の作文②

前回からの続きをご紹介します。
 
明王院を建立した相応和尚俗姓櫟氏、天長八年生まれ、延喜十八年某日、紫雲履崖として空に聳えるのを見て、その深きを尋ねんとして遂に琵琶湖の湖畔、船木から河流を遡り朽木谷に入った。
その後、葛川谷を遡行して坊村に至り、そこから常喜・常満の童子の案内で谷を遡って行った。石上に安座祈念した時、一の瀧において千手観音を感得し二の瀧にて毘沙門天の出現を拝した。三の瀧において初めて信興淵大明神に謁し、次いで生身の不動明王が炎々たる火炎の中に立ち給う様を拝し、歓喜のあまり、直ちに瀧中に飛び込み明王の身体を抱き奉りしに、不動明王の姿はたちまち化して、一丈余の桂の老木となった。
和尚はこの老木を用いて自ら三体の明王像を彫刻した。そしてその根本(座像)を坂本無動寺に、その中(立像)を葛川に、さらにその末(連台座像)を近江蒲生郡に伊崎寺を建立して安置し、以って修行の本尊になした。と言い伝えられている。
 
※作文は以上で結ばれています。修行僧が大太鼓から飛び降りる様は、まさしく不動明王に抱きつこうとしている相応和尚を具現化しており、大太鼓が廻る音は滝の流れ落ちる音を再現しているものと言われています。この行事は、書かれた当時から途切れることなく連綿と引き継がれてきました。過疎化によって人口が減少する中、地域の中学校とも連携し、民芸保存会と共に歴史ある行事を今も守り続けています。

2020.05.24 昭和10年頃の葛川祭・・・・当時の生徒の作文①

今年の葛川祭はコロナウィルスの感染防止の観点から中止となりました。台風の時でも実施されてきた祭ですが命には代えられません。来年は二倍楽しむ気持ちで臨みたいものです。そんな中で昔の村祭りの様子と太鼓廻しの由来を記した作文を紹介します。今年の祭の代わりにちょっと読んで頂けたらと思います。編集子も昔を思い出しました。
 
村 祭 り
七月十八日は坊村にある地主神社の祭礼である。この社は葛川全地区の産土神で本殿には国祖国常立尊、末社には安曇川沿岸開拓の祖神信興渕大明神を祭る。その他に山の神や大行事大権現を祭っている。本社の草創は遠く明王院建立以前である。明王院が建立されて後、その鎮守となり後柏原天皇の文亀二年に再建されている。現在の社殿は当時のもので今に至っている。本殿、幣殿はともに国の重要文化財に指定されている。信興渕大明神は筏乗りの祖神として古くより尊崇されている。
当社の祭礼は夜行われる。村人は夕食を済ませ三々五々連れ立って社にお参りする。社の境内は掃き清められ、燈明は赤々と昼を欺くばかりに輝いている。石段を降りると夜店が並んでいて、菓子、果物、飲み物、おもちゃ等を売っている。私達にはこの夜店で買い物するのが、また、大きな楽しみのひとつだ。九時頃になれば高張提灯を先頭に長閑な伊勢音頭とともに参道を練り上がっていく。各集落の青年により集落を上中下に分けて三集落ずつ間隔をおいて上がっていく。
その後は本祭唯一の行事である太鼓廻しが行われる。明王院講堂において赤襷がけの青年数人にて大太鼓を廻していく。大太鼓を廻すのは単独で行い、大太鼓が廻るたびに金具がガチャン、ガチャンと堂内に響きわたり、観客のワッショイワッショイの掛け声と相まって、祭は最高潮に達していく。そのざわめきは講堂の下手、地主神社の境内にまで、谷を越えて聞こえて来る。
ひと廻しするたびに大太鼓の上に修行僧が上り、「南無不動明王」と叫びながら飛び降りる。
この修行僧の所作には由来がある。
    ※以下、次回に掲載します。

2020.05.21 昭和10年頃に地元の生徒が書いた作文・・・郷土の山

県下にも名高い山奥。見渡す限り山ばかり。すなわちこれが郷土の山である。近江八景の一つに数えられる比良山を始めとして、名高い山も少なくない。これらの山々の四季の変化は誠に鮮やかである。
春は、谷間谷間の雪が跡かたなく消えて滴るばかりの新緑が萌え出て、すべての山々は色彩鮮やかなとりどりの緑に包まれる。その中でも山の所々に笑顔を出して咲く、桜のゆかしい眺めはとても他では見ることの出来ない趣がある。
春の山も生気が満ちてくると総て夏の山と変化し、一層、美を加えて緑樹鬱蒼として茂り、果樹は段々と秋の準備をして実りを待っている。
やがて秋だ。秋は小鳥の世界だ。今まで青々と茂っていた木々は段々と黄色に変わって行き、山が賑やかになって来る。
松林の間にはキノコが出るので、子供はいつも黒くなって探しまわっている。柿は赤い顔をして笑いだすように「食べて下さい」と言っている。山は紅葉を始めてゆき、青から黄そして赤へと変わって大変美しい。柿もなくなり山の木も落葉すると秋の末となり、月も過ぎゆき十二月となっていく。冬の訪れに山は淋しく雪を待つ。
子供の「雪よ、早く降れ」の歌と共に雪はチラチラと野里よりも先に山に降る。いよいよ山は銀世界。木という木は淋しそうに綿帽子を被っている。喜びに満ちて山中を駆け回る獣たち。
雪は一寸二寸、やがて一尺二尺と積もって行き、木々は来春に新しい緑の着物をまとうのを静かに待っている。
郷土の山は四季の変化が著しく、美しい。
  ※昭和12年頃に書かれた「わが村 葛川」の冊子から抜粋しました。今も変わりませんねえ・・自然豊かな葛川。

2020.05.09 「やまの健康プロジェクト」と「まち協」③

今までは「やまの健康」プロジェクトについてお知らせしてきました。このプロジェクトと「まち協」がどういう関係にあるのか考えてみたいと思います。
「やまの健康」・・山間地域を県が主体的にサポートして農林業や地域の活性化に取り組む。
「まち協」・・・・葛川地区全体で地区の活性化と相互扶助を行って行こうというもので、将来的には現在の「市民センター」を「コミュニティセン
         ター」として拠点とし、様ざまな課題に取り組む。
「やまの健康」推進プロジェクトは地域振興の取り組みを県がバックアップしてくれるものです。
「まち協」は何に取り組んで行くのか?・・・・・これが本題になります。
今、やっているものは何なのか・・先々どうなるのか・・・・将来のビジョンはどうなのか
①「花の里山」推進プロジェクト・・長尾委員長
 道路沿いの電線の沿線の立ち木を伐採し災害防止に努めると共に跡地に花咲く景観木を植樹して防災と観光を推進しようというもの。
 ※どこから何処までを範囲とし、沿線下の地権者が誰なのか。交渉は誰がするのか。どんな障害があるのか。どこまで進んでいるのか。等具現化し
  ないと構想だけになってしまう恐れがあります。
②リンドウ栽培プロジェクト・・山本委員長
 現在、唯一具現化している「やまの健康」プロジェクトと協調した事業です。すでに坂下地区において栽培を始めており、今年若しくは来年には出
 荷一号が出るかも知れません。坂下地区から始まり、仲平、坊村とその輪は広がりつつあります。
 ※出荷状態になればどのような組織でどのように取り組むのかが課題です。今後は法人組織にして種苗の仕入れ、栽培、摘花、集荷、販売といった
  一連の工程の青写真を描いておくことが重要でしょう。
③葛川生き生きサークル・・佐々江委員長
 交通の便確保の目的で、カーシェアリングによって地域の交通手段を確保して住民の生活福祉を増進しようとするもの。すでに活動していて地域の
 方々の重要な足となっています。
 ※ボランティアとして運転手をされている方の処遇を今後は考える必要があると思われます。
④移住・定住促進プロジェクト・・澤井委員長
 地域の空き家を利用して、小中学校と手を組みながら、葛川地区への移住・定住を進めて行こうというものです。今まで多くの方々が移住され葛川から多
 くの小中学生の卒業を見送ってきました。しかし、残念ながら定住という事になると成果に結びつかず、子供の成長と共に家族も地域から離れていくのが
 実態です。背景には職場がなく生計が立てづらいと言ったものがあると思います。雇用が確保できる地域であることが不可欠と考えられます。 
                                                                                                                                                                             
 
 
 
 
 

2020.04.30 山の健康推進プロジェクト②

 
前回、葛川地区が「山の健康」モデル地域に指定されたことをお知らせしました。その中で行政の部局の枠を超えた支援を行うとありました。
では、どのような部局がどのような支援策を考えているのかを見てみたいと思います。
森林政策課・・連携の中心となってプロジェクトを推進する統括部署
農村振興課・・山と農のにぎわい創出事業
         ・いろんな団体、個人との協働によるにぎわい創出
         ・体験林業、体験農業などの滞在型レジャー等のメニュー開発
         ・地元のガイドの育成
商工政策課・・仕事おこし事業
         ・どんな事業が出来るかのビジネスプランの策定
         ・地域による実験的な取り組みへの支援
森林政策課・・森の恵み活用推進事業
         ・森林資源を活用した林産物、サービスの創出
         ・販売や提供に向けて試行を実行する
農業経営課・・獣害対策モデル事業
         ・獣害を受けにくい農作物作付け、伝統的作物の販売戦略
         ・民宿、直売などへの提供による地産地消の推進
市町振興課・・移住・交流推進事業
         ・山間地域への移住の魅力発信
         ・移住体験機会の創出
住宅課・・・・空き家流通促進事業
         ・専門団体との連携による支援
         ・子育て世帯への空き家改修支援による移住促進
というような事になっています。
まあ、これだけの部局があることだけでも驚きですが、それが似たり寄ったりの目標や施策を掲げていることに、一種の役所仕事に見えてしまう面もあります。
過疎地、山間地域の本当の活性化を図るなら、統括部署である森林政策課のさらなるリーダーシップと調整力に期待するしかありません。
地域住民の思いと行政の支援、この二つが一致しないとモデル事業そのものが難しいかと・・・。

2020.04.28 「やまの健康」推進プロジェクト

葛川地区が滋賀県の「やまの健康」プロジェクト、モデル地域に米原市伊吹北部地域と共に昨年8月9日に県より選定されました。最初にこの「やまの健康」と聞いた時、皆さんどんな事を思い浮かべられたでしょうか。
編集子は「山を荒れさせてはいけない。杉やひのきの健康を守り緑豊かな山村を守るプロジェクト」と思い浮かべました。しかし、実際はまったく違う県の施策とわかりました。
実は過疎化、高齢化に悩む山間地域を活性化させるため、県が部局の壁を超えて連携し地域活性化のための支援を行うというものでした。
さて、それはどんなものでしょうか。地域の方々には自治会等を通じて説明や活性化の具体的活動も見られるようです。このプロジェクトは葛川地域のみならず
地域外の方々にも是非知って頂きたいと取り上げました。
少しずつ知る限りのご案内をしたいと思います。話が少し硬くなります。
①背景・現状
 過疎化、高齢化による農林業の衰退
 農地、山林の荒廃
 鹿・猪・猿等による獣害の深刻化
②目的
 農山村の価値や魅力に焦点を当てる
 地域資源を生かしたモノ・サービスで経済循環・・・山村の活性化を図る
③そのための取り組み
 県・・有識者の助言を得て、構想の策定、広報活動を活発化する
 地域(葛川)・・意欲ある集落を中心にモデルとなる地区を設定→地域が自ら計画策定する→県がバックアップする
というような、推進イメージになっています。これにはどうしても移住・医療・交通・職場等々がついて回ります。・・・どうするか(機会ありましたら続きを記したいと思います)
 
 
 

2020.04.21 葛川で三十三か所参り・・・貫井長久寺

長久寺観音堂の33観音像
今日は貫井のお寺、長久寺の観音堂の話です。寺には本堂の建物の他に観音堂があります。長久寺は葛川でも一番古い寺ですが、貫井谷の氾濫により流失。過去の寺は今の寺よりもっと上(谷の上流)にありました。そのため、歴史は古いのですが、いわゆる古文書の類のものは殆ど残っていません。しかしながら、本堂の他に観音堂を擁していまして今も在所の皆さんの観音講の場として使われています。
今の観音堂の内部は2016年貫井で葛川地区の曹洞宗葛川教区の総会と本山からの布教説法があった時に貫井の檀信徒と自治会の援助によって、内部の修復が行われました。
観音堂の名の通り、内部には西国33か所霊場各寺の本尊である、それぞれの観音を配しております。これらの観音像は堂の建立時、一体一体個人の寄進による製作となったようで、すべての像には各々寄進者の名が残っています。寄進者の在所名を見ますと貫井のみならず、梅ノ木、細川、朽木村、京都市等の住所が書かれており、色んな方々の寄進によって建てられたと思われます。当時は今よりはるかに観音講が盛んであったことの証左であると思います。
さて皆さん、皆さんは33か所めぐりとして、各地の実際の寺院へお参りに行かれたことがあると思います。全部お参りするのはなかなか大変です。また、年を重ねると行きたくても行けない難所もあります。
貫井の観音堂へお参り頂くと、一度にすべての観音を遥拝することができます。
一度ご覧になっては如何かなと思います。現在の長久寺は無住寺となっていますので、もし「拝観したいな」と思われましたら護持会会長である上田俊幸氏にご連絡いただければ開扉してもらえます。気軽に声をかけて頂けたらと思います。

2020.04.14 平、正教院のシャクナゲ

日陰に群生するシャクナゲ、満開間近・・・
葛川の桜もいよいよ終盤。これからは八重桜やツツジ、フジの花でしょうか。比良山麓を彩る初夏の花々の季節がもうすぐやってきます。
今回はシャクナゲの紹介。比良山に自生するシャクナゲは滋賀県の県花でもあります。山深い谷筋に咲く大ぶりの花は初夏の女王です。
そんなシャクナゲを見られるスポットの紹介です。
場所は平の正教院。葛川の皆さんも自分の菩提寺でない寺へは多分、お参りされたことはないと思います。今年は暖冬でシャクナゲの開花も早いかも知れません。集落にかかる安曇川の橋を渡って右に折れ、前方に向かって緩やかな坂を上ると立派な山門が見えてきます。門をくぐって正面に本堂、その左手に、本当に大きなシャクナゲの木があって杉木立の中、凛として咲いています。本当に一見の価値あり、是非一度足を運んでみてください。今の言葉で言えば「インスタ映え」します。
写真は以前に撮影したものですが、その時は5月の初旬でした。村人に出会ったら、ちょっと挨拶お願いします。
また、井上靖の小説に「比良のシャクナゲ」という小説があります。図書館へ足を運んでもらって一読されるのも良いかと思います。移転前の琵琶湖ホテルの描写もありますよ。

2020.04.13 バスに代わるカーシェアリング

葛川の人口の減少に伴って、かっては一日6便位あった民間バスがどんどん便数を整理するようになり、京都バスは定期便はなく土日の登山客用の臨時便のみ。頼みの江若バスも朝夕一本づつになってしまいました。
そこで、地域の住民が立ち上がりカーシェアリグの運営に立ち上がりました。すでに運用していて地域の運転出来ない人や高齢の住民の皆さんの足となっています。運転手は地域の元気な方々が交代でボランティァとして参加。病院やショッピングセンターなど日常生活に欠かせない場所へとお客さんを運んでいます。地域の住民が連携してお互いに相互扶助の精神でできることをして全体で地域を守っていく。高齢化社会のただなかで自らも世話になったり、世話したりの繰り返しとなります。
住民の和を大事にする葛川地域の特性もあると思います。この事業が永く続く事を期待しています。過疎地で生き抜く知恵。皆で考えたいものです。

2020.04.11 釣行する前はキュウリを食べない。

葛川ではその昔、林業が大変盛んでした。その為川の事故で人身に被害が出ることも多々ありました。葛川や朽木の各地に志古淵神社という名の神社がありますが、この神社はかって、材木を組んで筏にして琵琶湖まで運んだ筏師の皆さんの守り神だと聞いています。深い深い淵で悪さをするのが「河太郎」という河童です。河童はキュウリが大好物。そのため川に入ったり、釣りをしたりする時は、その前にはキュウリを食べたら河童に知られて、魚が獲れないと良く言われたものです。筆者も昔、引っ掛けの解禁日の朝は決してキュウリは食べませんでした。葛川の方なら心当たりがあると思います。
志古淵神社も河童も川の事故を防ぐための戒め。昔の話には必ず一理ありますね。

2020.04.09 葛川もコロナの影響大

昨日、緊急事態宣言が発出され、該当県にはなりませんでしたが滋賀も同じような対策を施すことになったようです。
葛川でも小中学校は5/6まで休校となり、葛川少年自然の家も一学期中の体験学習はすべてなくなりました。自然の家に漁協では「あまご」を納入していましたが、これもすべてキャンセルとなりました。漁協にとっては大きな痛手で対応に苦慮しています。
また、今月の4/30に滋賀県の河川漁連と提携して大津市漁業体験事業として葛川小学校にもお手伝いをお願いして、アユの稚魚放流を予定していましたがこれも11月に延期になりました。
葛川の各種団体も会合などの集まりはほとんどキャンセル、中止になっています。
山間へき地の葛川でさえこのありさまですので、街中では大変なことになっていると思います。「家に居る」ことが最大の防御とか言われています。
ともに辛抱して難局を乗り越えましょう。

2020.04.02 葛川のもろもろの話題を提供します。

葛川では現在250名ほどの住民が生活しています。戦後間もない頃は優に1,000名を超える住民が生活しておりました。
現在は本当に過疎の村になっていますが、その歴史は古く、平安朝の頃よりの文献が坊村の明王院に残されています。
このような訳で、いつもご贔屓にしていただいてブログを見て貰ってるファンの皆さんにより深く葛川を知って頂きたい、また、葛川の皆さんには地域のニュースソースとして利用して頂きたいとの思いからこの欄を設けました。
いつまで続くか分かりませんが、釣り情報のついでにご覧いただければ嬉しく思います。

2020.04.02 葛川地区でリンドウ栽培に挑戦中です。

葛川地区では県の農林部局の支援を得て、リンドウ栽培に挑戦中です。リンドウは寒さに強く、シカなどの食害にも比較的耐えられるそうです。もともとは東北地方で多く栽培されているようですが気候の似ている葛川でも可能ではないかと白羽の矢がたったようです。
主に坂下地区を中心に先行していますが木戸口、坊村地区でも挑戦の機運が盛り上がっているようです。新しい葛川の特産品になればと期待されています。

2020.04.06 コロナウィルス油断禁物です。

葛川よもやま話ではなくなりそうです。
4/7にも大阪、兵庫に緊急事態宣言が出されようとしています。京都、滋賀でもウィルス感染者が増加しています。今やどこの誰が感染しているのかまったく分からず、感染経路が掴めない感染者が増えているのが実態のようです。当の本人が自覚もしないうちに感染しているといった事例が多くなっているとの事。街や田舎の違いなどあまり関係なくなってきました。
すぐ隣の人が保菌者の可能性もあるのです。とにかく不要不急の外出を避け、人との接触も可能な限り避ける必要があります。田舎でも一緒です。どうか皆様、身の安全を第一に出来るだけ自宅で過ごされることをお勧めします。
一日も早く終息し、街にも葛川にも活気が蘇ることを祈るばかりです。
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